ピンク・レディーのミーは現在どうしているのか。2026年10月24日時点で、ミーこと未唯mie(みい)は68歳。歌手・女優として活動を続け、2026年9月にはデビュー50周年とソロデビュー45周年を記念する公演を開催しました。9月16日には新曲「Anti Limit」もリリースしており、往年のヒット曲だけに頼らない音楽活動を展開しています。
本名は根本美鶴代(ねもと・みつよ)。一方、相方のケイこと増田惠子は69歳で、2026年8月に新曲「貴方は彼方へ」を発表しました。二人はそれぞれソロ活動を続けながら、ピンク・レディーとしての歴史も大切にしています。名前の変遷、現在の仕事、1976~1978年の大ブーム、解散と再結成の経緯を整理すると、半世紀にわたって愛される理由が見えてきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 現在の未唯mie:2026年10月時点で68歳。新曲「Anti Limit」のリリースやデビュー50周年記念公演など、現役で音楽活動を継続。
- 本名と相方の違い:ミーの本名は根本美鶴代。ケイの本名・活動名は増田惠子で、2026年現在もそれぞれソロで活動している。
- ピンク・レディーの歴史:1976~1978年に人気が爆発。「UFO」などの大ヒットと土居甫による振付が、世代を超えて記憶される理由になっている。
【2026年最新】ピンク・レディーのミーは現在何をしている?
未唯mieは、ピンク・レディー解散後も歌手としての活動を続け、舞台、ミュージカル、コンサート、テレビなど幅広い分野で仕事をしてきました。ビクターエンタテインメントの公式プロフィールでも、現在までライブや舞台を積極的に開催していることが紹介されています。
2026年は、1976年8月25日のピンク・レディーのデビューから50周年を迎える節目の年です。さらに、1981年に始まったソロ活動も45周年となり、グループと個人の両方で大きな記念年を迎えました。
2026年の主な活動
9月16日にはシングル「Anti Limit」をリリース。ビクターエンタテインメントの公式ディスコグラフィーにも掲載されている新作で、周年を記念した活動が懐古企画だけにとどまらないことを示しています。
さらに、9月19日には東京国際フォーラム ホールCで「未唯mie DEBUT 50th & SOLO 45th Anniversary Celebration」を開催しました。TBSチャンネルの番組案内によると、公演は新曲「Anti Limit」から始まり、ソロ楽曲を経てピンク・レディー時代のヒット曲へとさかのぼる構成です。歌とダンスを通して、これまでのキャリアを振り返るステージとなりました。
この公演は、2026年11月21日午後6時からCS放送のTBSチャンネル1でテレビ初独占放送される予定です。会場での公演が終わった後も、テレビを通してパフォーマンスに触れる機会が設けられています。
また、2021年には五世花柳流宗家家元・花柳壽輔から「花柳舞千鳥」の名を許され、日本舞踊の名取となりました。歌唱やダンスに加え、身体表現の技術を磨いてきたことも、現在の舞台活動を支える要素です。
芸名は「MIE」から「未唯mie」へ
ピンク・レディー解散後、ミーはソロ歌手として活動を始め、長らく「MIE」の芸名を使用しました。その後、1998年に「未唯」へ改名し、2006年から現在の「未唯mie」という表記になっています。
この変化は、単なる表記の変更だけではありません。ピンク・レディーのメンバーとして知られる「ミー」から、ソロ歌手・女優としての個人名義を確立し、さらに長いキャリアを経て現在の活動名へとつながった歩みでもあります。
【本名・年齢を比較】未唯mieと増田惠子のプロフィール
ピンク・レディーの二人は、デビュー当時の呼び名と現在の活動名が異なるため、検索すると名前の関係が分かりにくいことがあります。基本プロフィールと2026年の活動を比較すると、違いが整理できます。
| 項目 | ミー:未唯mie | ケイ:増田惠子 |
|---|---|---|
| 本名 | 根本美鶴代(ねもと・みつよ) | 増田惠子(ますだ・けいこ) |
| 生年月日 | 1958年3月9日 | 1957年9月2日 |
| 2026年10月24日時点の年齢 | 68歳 | 69歳 |
| ピンク・レディーのデビュー | 1976年8月25日 | 1976年8月25日 |
| 解散後の主な活動 | 歌手、女優、舞台、ミュージカル、ライブ | ソロ歌手、女優、コンサート |
| 2026年の主な動き | 新曲「Anti Limit」、デビュー50周年・ソロ45周年記念公演 | 新曲「貴方は彼方へ」、デビュー50周年・ソロ45周年記念活動 |
未唯mieの本名は根本美鶴代
未唯mieの本名は、芸能プロフィールで根本美鶴代と紹介されています。ピンク・レディー時代は「ミー」、ソロ活動では「MIE」「未唯」を経て、現在は「未唯mie」と名乗っています。
ここで押さえておきたいのは、「ミー」と「未唯mie」は別人ではなく、同じ人物の時期によって異なる芸名だという点です。昔のレコードやテレビ映像では「ミー」「MIE」と表記されていることもあり、現在のプロフィールと照合する際には芸名の変遷を知っておくと混乱しません。
ケイは増田惠子としてソロ活動を継続
ケイの活動名は、現在も増田惠子です。日本コロムビアやビクターエンタテインメントの公式プロフィールでは、1957年9月2日生まれ、静岡県出身と紹介されています。
1981年のピンク・レディー解散後、増田惠子は中島みゆきが作詞・作曲した「すずめ」でソロデビューしました。同曲はヒットを記録し、その後は歌手活動に加えて映画やドラマにも出演。グループで培った知名度を生かしながら、独自の音楽活動を築いてきました。
2026年には、ソロ活動45周年を記念した新曲「貴方は彼方へ」を発表。公式発表によると、8月5日に配信、8月19日にCDシングルがリリースされました。ミーだけでなく、ケイも節目の年に新作を発表している点は見逃せません。
【1976~1978年の全盛期】「UFO」と振付が生んだ社会現象
ピンク・レディーが日本の音楽シーンを席巻したのは、1976年から1978年にかけてです。実質的な人気の絶頂期は1977~1978年とされ、シングルを発売するたびにヒットを飛ばす勢いがありました。
ビクターエンタテインメントの公式プロフィールによると、二人は1976年8月25日に「ペッパー警部」でデビュー。その後、「S・O・S」「カルメン'77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド(指名手配)」「UFO」「サウスポー」などを次々に発表し、チャート上位を獲得しました。
「UFO」は1978年の日本レコード大賞を受賞
代表曲の一つが「UFO」です。1978年12月31日に開催された第20回日本レコード大賞で大賞を受賞しました。日本作曲家協会の公式記録でも、ピンク・レディーの「UFO」がこの年の大賞作品として掲載されています。
「UFO」の魅力は、耳に残るメロディーだけではありません。衣装、歌詞の世界観、独特のポーズを組み合わせたパフォーマンスが、テレビ画面を通して強く印象に残りました。曲を聴くだけでなく、振付をまねるところまで楽しめる点が、当時の子供たちの支持につながったのです。
振付師・土居甫が生み出した「見て覚えられるダンス」
ピンク・レディーの振付を担当したのは、振付師の土居甫です。二人の動きをそろえた大胆な振付は、当時のアイドルのパフォーマンスに新しい印象を与えました。
1978年のオリコンによる調査として紹介されるデータでは、ピンク・レディーの支持層のうち、3~12歳が42.5%を占めていました。子供向けテレビ雑誌でも取り上げられ、女児を中心に振付をまねる遊びが広がったとされています。
人気の理由は、単に衣装が派手だったことでも、歌がヒットしたことだけでもありません。曲ごとに異なる世界観、二人の息の合った動き、覚えて参加できる振付が一体となり、視聴者を受け身の観客から参加者へと変えました。これは、後年のダンスを重視するアイドルグループにも通じる要素です。
「渚のシンドバッド」の12週連続1位は正確か
「渚のシンドバッド」はピンク・レディーを代表する大ヒット曲ですが、オリコンの順位推移については、曲名と記録が混同されやすい点に注意が必要です。
オリコンの週次チャートの推移を整理した資料では、「渚のシンドバッド」は3週連続で1位を獲得した後、4週間首位を譲り、再び5週連続で1位になったとされています。一方、12週連続1位の記録で知られるのは「ウォンテッド(指名手配)」です。
つまり、「渚のシンドバッドが12週連続1位」という説明は、ヒットが続いた時期の記録と混同している可能性があります。ピンク・レディーの実績を振り返るときは、曲ごとの最高順位、連続首位の週数、累計売上を分けて見ることが大切です。
【ピンク・レディーの解散理由】米国進出と人気の変化
ピンク・レディーは、1970年代後半の人気絶頂期を経て、1980年9月1日に解散を表明しました。そして、1981年3月31日、後楽園球場で解散コンサートを開催。ビクターエンタテインメントの公式プロフィールでは、デビューから解散までの活動期間は4年7か月と記録されています。
これほどの人気を誇った二人が、なぜ解散を選んだのでしょうか。経緯を理解するうえで重要なのが、米国進出と日本国内での活動環境の変化です。
米国進出で活動の重心が変わった
ピンク・レディーは日本での大ヒットを背景に、海外へ活動の場を広げました。1979年5月には「Kiss In The Dark」を世界40か所以上で同時発売。米ビルボード誌のシングルチャートで最高37位を記録し、米国のテレビ番組「Pink Lady Show」にも出演しました。
一方、米国での活動に時間を割くことで、日本国内のテレビ出演やプロモーションの機会は変化しました。帰国後の反響や当時の報道も含め、国内での人気の変化、過密なスケジュール、活動方針をめぐる負担など、複数の要素が解散までの背景として語られています。
ただし、解散を二人の不仲だけで説明するのは実態を単純化しすぎます。公式プロフィールで確認できるのは、米国での長期滞在から帰国した1980年9月1日に解散を表明し、翌年3月31日に活動を終えたという経緯です。活動環境の変化と二人の関係性を、根拠の異なる話として区別する必要があります。
解散後はそれぞれの道へ
解散後、未唯mieは「MIE」名義でソロデビューし、歌手や女優として活動。増田惠子も「すずめ」でソロデビューを果たしました。二人はピンク・レディーというユニットを離れても、芸能活動そのものを終えたわけではありません。
この点は、現在の二人を理解するうえでも重要です。ピンク・レディー時代の活動だけが二人のキャリアのすべてではなく、それぞれが個人として作品を発表し、舞台やテレビなどで経験を積んできたからです。
【ピンク・レディー再結成の経緯】「解散やめ!」宣言から50周年へ
ピンク・レディーは1981年に解散しましたが、その後も一度きりの思い出として封印されたわけではありません。期間限定の再結成を複数回行い、2003~2005年には大規模なメモリアルコンサートツアーを開催しました。
2003~2005年のツアーで再び二人がステージへ
増田惠子の公式プロフィールによると、2003~2005年のメモリアルコンサートツアーは全国100か所、計200公演に及び、総動員数は40万人に達しました。解散から20年以上が経過しても、二人の歌とダンスを生で見たいという観客が多数いたことを示す数字です。
再結成の舞台では、当時のヒット曲だけでなく、ピンク・レディーという存在そのものが持つ懐かしさとライブパフォーマンスの力が改めて注目されました。過去の人気を振り返るだけでなく、実際に歌い、踊る姿を再び見せたことが、グループの健在ぶりを印象づけました。
2010年9月1日の「解散やめ!」宣言
大きな転機となったのが、2010年9月1日の「解散やめ!」宣言です。最初の解散表明からちょうど30年となる日に、二人はピンク・レディーとしての活動を再び継続する意思を示しました。
当時の日刊スポーツなどの報道では、ケイが恩師である作詞家・阿久悠と振付師・土居甫の死去を振り返り、ミーが隣にいることを当たり前と思ってはいけないと気づいたことが、再出発を考える背景として伝えられています。
2010年12月には、過去の楽曲を新たに録音したアルバム『INNOVATION』を発売。2011年には全国ツアーも行われました。これは過去の期間限定再結成とは異なり、二人のソロ活動と並行しながらグループとしても活動を続ける姿勢を打ち出したものでした。
2026年の50周年は「現在進行形」の節目
2026年には、ビクターエンタテインメントからデビュー50周年記念のトリビュートアルバム『ピンク・レディー伝説 Now and Forever -50th Anniversary Tribute Album-』が8月26日に発売されました。これはピンク・レディーの楽曲が、現在の音楽シーンでも受け継がれていることを示す企画です。
一方、未唯mieは9月19日に自身の50周年・45周年記念公演を開催し、増田惠子も新曲や記念コンサートなどソロ活動を展開しています。2026年の周年企画は、二人が必ず同じ形で活動していることを意味するものではありません。グループの歴史を振り返る企画と、各メンバーの現在の活動を分けて見ることが、実情を理解するポイントです。
【プロの結論】未唯mieと増田惠子が今も支持される理由
ピンク・レディーの人気を分析すると、単なる懐かしさだけでは説明できない特徴が見えてきます。二人は楽曲、衣装、振付、テレビでの見せ方を組み合わせ、音楽を聴くだけでなく、視覚的にも参加型でも楽しめるエンターテインメントを確立しました。
「UFO」や「サウスポー」のように、曲名を聞くだけで振付や衣装を思い浮かべる人が多いのは、楽曲とパフォーマンスが一体になって記憶されているからです。1970年代のテレビ文化の中で、子供たちが振付を覚え、学校や家庭でまねをするほど広がったことは、当時の人気を象徴する現象でした。
現在の二人を知るための3つの判断基準
1. グループの話題とソロ活動を区別する。 ピンク・レディーの記念企画が報じられていても、必ずしも二人がそろって出演するとは限りません。公演の出演者や公式告知を確認すれば、グループとしての活動なのか、個人の活動なのかを判断できます。
2. 年齢と芸名の変遷を混同しない。 ミーは未唯mie、ケイは増田惠子として現在活動しています。昔の映像や記事に「MIE」「ミー」と記載されていても、未唯mie本人を指している場合があります。プロフィールを見るときは、生年月日と芸名の両方を照合するのが確実です。
3. 過去のヒット実績と現在の活動を分けて評価する。 1970年代の記録はピンク・レディーの歴史を知るうえで重要ですが、現在の活動は新曲、舞台、ライブ、テレビ出演などから判断できます。2026年の未唯mieと増田惠子は、いずれも新作や記念公演を通して、個人としてのキャリアを更新しています。
未唯mieの現在を知ることは、かつてのアイドルが過去の栄光だけで活動しているのかを確かめることではありません。半世紀にわたって培った歌唱力やパフォーマンスを、どのように現在の音楽活動へつなげているかを見ることに意味があります。ピンク・レディーの歴史と二人それぞれの歩みを併せて見ると、そのキャリアの厚みがより鮮明になります。
【ピンク・レディーのミーの現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ピンク・レディーのミーは現在何歳ですか?
A1:未唯mieは1958年3月9日生まれで、2026年10月24日時点では68歳です。2026年9月にはデビュー50周年とソロデビュー45周年を記念する公演を開催しました。
Q2:未唯mieの本名は何ですか?
A2:本名は根本美鶴代(ねもと・みつよ)です。ピンク・レディー時代は「ミー」、ソロ活動では「MIE」「未唯」を経て、2006年から現在の「未唯mie」という表記になっています。
Q3:ピンク・レディーは現在も二人で活動していますか?
A3:2010年9月に「解散やめ!」を宣言し、ソロ活動と並行してグループ活動を続ける方針を示しました。ただし、個人の記念公演と二人そろっての活動は別です。2026年の最新情報は、ビクターエンタテインメントや各メンバーの公式プロフィール・告知で確認できます。
Q4:ケイこと増田惠子は現在何歳で、何をしていますか?
A4:増田惠子は1957年9月2日生まれで、2026年10月24日時点では69歳です。2026年8月には新曲「貴方は彼方へ」をリリースし、ソロ歌手としての活動を続けています。
Q5:「渚のシンドバッド」はオリコン12週連続1位を記録した曲ですか?
A5:「渚のシンドバッド」は大ヒット曲ですが、12週連続1位という記録は「ウォンテッド(指名手配)」と混同されることがあります。曲ごとの順位推移を区別して確認することが大切です。
まとめ:未唯mieは2026年も現役、ピンク・レディーの歴史は続いている
2026年現在、ピンク・レディーのミーこと未唯mieは68歳。新曲「Anti Limit」のリリースやデビュー50周年記念公演など、歌手として精力的に活動しています。相方のケイこと増田惠子も69歳で、新曲「貴方は彼方へ」を発表するなど、ソロ活動を続けています。
本名の根本美鶴代と芸名の未唯mie、増田惠子との名前の違い、1976~1978年の全盛期、土居甫による振付、「UFO」の日本レコード大賞受賞、1981年の解散と2010年の「解散やめ!」宣言。これらを時系列で整理すると、ピンク・レディーが一時代のブームにとどまらない存在であることが分かります。
今後の活動を追うなら、過去のヒット曲や再結成のニュースだけでなく、未唯mieと増田惠子それぞれの新曲、ライブ、テレビ出演にも注目したいところです。二人が築いてきた50年の歴史と、現在進行形の音楽活動。その両方を知ることが、ピンク・レディーの魅力をより深く理解する近道です。 (出典: ピンク レディ ミー 現在(Yahoo!ニュース))