1990年代初頭、日本のディスコ文化を象徴する存在として全国的な話題を集めた「ジュリアナ東京」。羽根付き扇子の「ジュリ扇」、ワンレン・ボディコン、そしてダンスフロアに設けられた「お立ち台」は、当時の若者文化を語るうえで欠かせない存在となりました。
2026年現在、気になるのは、かつての熱狂の舞台があった場所がどうなっているのかという点です。ジュリアナ東京は東京都港区芝浦にあり、1991年5月15日に開業、1994年8月31日に閉店しました。2026年8月に放送されたテレビ朝日「THE世代感」でも、旧店舗の建物が現在も残っていることが紹介されています。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 跡地の現在:東京都港区芝浦1丁目13-10。2026年のテレビ番組では、旧店舗が入っていた建物が現存し、ダンスフロアがオフィスとして利用されていると紹介された。
- 正式名称と営業期間:正式名称は「JULIANA'S TOKYO British discotheque in 芝浦」。1991年5月15日から1994年8月31日まで営業した。
- 閉店の背景:警察からの指導、お立ち台の撤去、客足の減少、経営上の問題などが重なり、約3年3か月半で営業を終えた。
【2026年最新】ジュリアナ東京跡地の現在はどうなっている?
ジュリアナ東京跡地を調べるうえで、まず押さえたいのは、旧店舗が入っていた建物そのものが現在も残っているという事実です。
2026年8月29日に放送されたテレビ朝日の番組「THE世代感」では、かつてジュリアナ東京として使用されていた建物が現存し、当時のダンスフロアがオフィスに転用されている様子が紹介されました。かつて女性たちが踊ったお立ち台の位置も、現在はデスクとして利用されていると報じられています。
同年のテレビ番組情報では、広告会社TBWA\HAKUHODOが入居する建物としても取り上げられています。つまり、跡地はディスコの記念館や復元施設になったのではなく、現代のビジネス空間として活用されている場所です。
入口付近には、当時の雰囲気を思い起こさせるスロープなどが残っていると紹介されています。かつての華やかな夜の空間と、現在のオフィスとしての利用。その対比こそが、ジュリアナ東京跡地の大きな特徴です。
なお、建物が残っていることと、当時のディスコ営業時の内装がすべて保存されていることは別の話です。現在の建物を訪れても、1990年代のダンスフロアやお立ち台が当時の状態で公開されているわけではありません。
【場所・住所】ジュリアナ東京は東京都港区芝浦のどこにあった?
ジュリアナ東京の所在地は、東京都港区芝浦1丁目13-10です。旧店舗が入っていた建物は、第3東運ビルとして知られています。周辺はJR田町駅や都営地下鉄三田駅からアクセスできるエリアで、かつては倉庫や物流関連施設が集まるウォーターフロントの一角でした。
不動産情報に掲載されている第3東運ビルの所在地も、東京都港区芝浦1丁目13-10です。田町駅から徒歩約7〜8分、三田駅から徒歩約7〜8分が目安となります。駅から海側へ向かう芝浦エリアを訪れる際に、旧店舗の所在地を確認する手がかりになります。
ジュリアナ東京が誕生した1991年当時、芝浦は現在のようなオフィス街のイメージだけで語れる場所ではありませんでした。湾岸エリアの開発が進むなか、広い空間を確保できる倉庫などを活用した大型ディスコが注目を集めていました。
六本木や麻布の繁華街とは異なる立地も、ジュリアナ東京の個性を形づくった要素です。日常の街並みから少し離れたウォーターフロントに大規模な娯楽空間が生まれたことで、非日常的な体験を求める人々を引きつけました。
現地を訪れる場合は、オフィスなどとして使用されている建物であることを念頭に置き、見学は外観の確認を中心にするのが適切です。一般の観光施設として公開されている場所ではないため、関係者以外の立ち入りや業務の妨げになる行為は避けましょう。
【営業期間・年表】1991年開業から1994年閉店までの歩み
ジュリアナ東京の営業期間は、1991年5月15日から1994年8月31日までです。年数にすると約3年3か月半。全国的な知名度を獲得し、ファッションや音楽、テレビ報道にも影響を与えた施設としては、意外に短い営業期間でした。
正式名称は「JULIANA'S TOKYO British discotheque in 芝浦」。単に「ジュリアナ東京」と呼ばれることが多いものの、正式名称には芝浦という所在地と、英国風ディスコを掲げたコンセプトが盛り込まれていました。
主な歴史を時系列で整理すると、次のようになります。
| 時期 | 出来事 | 歴史的な意味 |
|---|---|---|
| 1991年5月15日 | ジュリアナ東京が開業 | 芝浦のウォーターフロントに大型ディスコが誕生 |
| 1991〜1992年ごろ | 人気が拡大 | お立ち台、ジュリ扇、ワンレン・ボディコンが広く知られる |
| 1993年 | 露出度の高い衣装などが社会的な議論を呼ぶ | 警察からの指導や店舗側の対応が注目される |
| 1993年11月ごろ | お立ち台を撤去し、ステージ構成を変更 | 従来の営業スタイルが大きく変わる |
| 1994年8月31日 | 営業終了 | 約3年3か月半の歴史に幕を下ろす |
| 2026年 | 旧店舗の建物が現存 | テレビ番組で、オフィスとして利用される現在の姿が紹介される |
この年表から分かるのは、ジュリアナ東京の歴史が、単純な人気店の誕生と閉店だけでは説明できないということです。人気を支えた演出が社会的な批判の対象となり、店舗側が営業スタイルを変更した時期と、集客力が低下した時期が重なっています。
閉店後も、ジュリアナ東京という名前は、当時のファッションや音楽を振り返る際の象徴として残りました。2021年には開業30周年を記念するイベントも開催され、当時の音楽や雰囲気を再現する企画が行われています。
【閉店理由】ジュリアナ東京はなぜ1994年に営業を終えたのか?
ジュリアナ東京の閉店理由を考えるうえで重要なのは、警察からの指導だけでなく、営業スタイルの変更による集客への影響や、経営上の問題も合わせて見ることです。
開業当初から話題となったのが、ダンスフロアの両側に設置された「お立ち台」でした。女性客がステージ上で踊り、羽根付き扇子を振る光景は、ジュリアナ東京を象徴するものとしてテレビや雑誌で繰り返し紹介されました。
一方、人気が高まるにつれ、衣装の露出度や店舗周辺の状況などをめぐって批判も強まりました。共同通信が2025年8月31日に配信した回顧記事も、女性客の衣装が過激だとして警察から注意を受け、お立ち台の撤去後に客足が遠のいた経緯を伝えています。
1994年8月の米紙ワシントン・ポストの報道では、警察との協議を経て1993年末ごろにお立ち台を撤去し、代わりに「クリスタルステージ」を設けたことや、露出の高い服装を制限する対応が紹介されました。同紙は、店舗側の説明として、1晩当たりの来場者が約3,000人から約250人に減少したと報じています。
この数字が示すのは、ジュリアナ東京の人気が単に音楽や飲食だけで成り立っていたのではなく、お立ち台を中心とした視覚的な演出と強く結びついていたということです。象徴的な演出を取り除けば、店舗のイメージや来場動機にも影響が及びます。
ただし、警察による指導を、そのまま「法律によって店が強制閉鎖された」と説明するのは正確ではありません。報道で伝えられているのは、指導を受けて営業内容を変更したこと、その後に集客が落ち込み、経営上の問題が深刻になったことです。
さらに、ジュリアナ東京が開業した1991年は、バブル経済の崩壊が進んでいた時期でもあります。「バブル絶頂期に誕生し、好景気が終わったから閉店した」という単純な時系列ではありません。社会の変化、店舗独自の演出、規制への対応、客層の変化が重なった結果として捉える必要があります。
【跡地の変遷】ディスコの舞台はなぜオフィスに変わった?
ジュリアナ東京が閉店した後、旧店舗の所在地は、ディスコとしての役割を終えた一方で、建物を別の用途に活用する場所へと変化しました。2026年のテレビ番組で紹介されたのは、旧店舗の建物が取り壊されずに残り、内部がオフィスとして使われている姿です。
かつて大勢の客が集まったダンスフロアが仕事場になり、お立ち台の位置がデスクへと変わる。これは、同じ空間でも、社会の需要や利用目的が変われば役割が大きく変わることを示しています。
また、ジュリアナ東京の跡地をめぐっては、建物が現存することと、当時の店舗がそのまま営業を続けていることを混同しないようにしたいところです。現在の建物は旧店舗の歴史をたどる手がかりですが、当時のディスコが復活したわけではありません。
所在地の確認には、港区芝浦1丁目13-10という住所と、第3東運ビルという建物名が役立ちます。現在の施設情報と過去の店舗情報を照らし合わせれば、単に「ジュリアナ東京の跡地」と検索するよりも、場所を特定しやすくなります。
なお、建物内のテナントや利用状況は変わる可能性があります。現地を訪問する予定がある場合は、訪問直前に建物の最新情報を確認しておくと安心です。
【当時のディスコ文化】ジュリアナ東京が社会現象になった背景
ジュリアナ東京を振り返る際に欠かせないのが、当時のディスコ文化です。ワンレン・ボディコンのファッション、羽根付き扇子のジュリ扇、華やかな照明、音響設備、DJのマイクパフォーマンスなどが組み合わさり、店内の体験そのものが話題になりました。
お立ち台は、踊るための設備であると同時に、店のイメージを視覚的に伝える装置でもありました。来場者がステージで踊る様子は、テレビや雑誌を通じて店の外にも広がり、実際に訪れたことのない人にまでジュリアナ東京の名前を浸透させました。
こうした現象は、当時のメディア環境とも結びついています。店内の光景が繰り返し報道されることで、ディスコは単に音楽を聴いて踊る場所ではなく、ファッションや自己表現、時代の空気を体験する場所として認識されるようになりました。
一方で、話題性が大きくなるほど、当初の店の雰囲気を求める常連客と、メディアで見た華やかな光景を目的に訪れる客との間で、期待の違いが生じた可能性もあります。リビンマガジンBizの2018年の記事も、知名度の拡大によって一見客が増え、リピーターが減ったことを閉店の背景の一つとして挙げています。
この点から見ると、ジュリアナ東京の歴史は、人気を集めるための演出が大きな成功をもたらす一方、その演出への依存が強いほど、方向転換が難しくなることを示す事例でもあります。ブームを生んだ特徴が、そのまま店舗を維持するための課題にもなったのです。
ジュリアナ東京は、バブル期の象徴として語られることが多いものの、実際の開業は1991年5月です。バブル崩壊後にも、その余韻や消費文化への期待が残っていた時期に登場し、短期間で全国的な知名度を獲得しました。この時間軸を押さえることで、単なる懐かしのディスコではなく、1990年代初頭の社会と文化を映す存在として理解できます。
【ジュリアナ東京跡地】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ジュリアナ東京跡地の住所はどこですか?
A1:東京都港区芝浦1丁目13-10です。旧店舗が入っていた建物は第3東運ビルとして知られています。田町駅や三田駅から徒歩圏内にあります。
Q2:ジュリアナ東京跡地は2026年現在も残っていますか?
A2:はい。2026年8月に放送されたテレビ朝日「THE世代感」では、旧店舗の建物が現存し、かつてのダンスフロアがオフィスとして利用されている様子が紹介されました。ただし、当時のディスコが営業しているわけではありません。
Q3:ジュリアナ東京はいつ開業し、いつ閉店しましたか?
A3:1991年5月15日に開業し、1994年8月31日に閉店しました。営業期間は約3年3か月半です。正式名称は「JULIANA'S TOKYO British discotheque in 芝浦」でした。
Q4:ジュリアナ東京の閉店理由は何ですか?
A4:警察からの指導を受けた後、お立ち台の撤去や服装規制などの対応が行われ、集客が落ち込んだことが大きな要因として報じられています。経営上の問題も重なり、1994年8月31日に営業を終了しました。
Q5:跡地を訪れれば、当時のお立ち台や内装を見られますか?
A5:当時の内装がそのまま一般公開されているわけではありません。2026年のテレビ番組では、お立ち台の位置がデスクとして使われていると紹介されています。建物はオフィスなどとして利用されているため、外観を確認する形で訪れるのが現実的です。
まとめ:ジュリアナ東京跡地を調べるなら住所と歴史の両方を押さえよう
ジュリアナ東京跡地は、東京都港区芝浦1丁目13-10にある、旧店舗が入っていた建物の所在地を手がかりに調べられます。2026年のテレビ番組でも建物の現存が紹介され、かつてのダンスフロアがオフィスへと用途を変えていることが伝えられました。
正式名称は「JULIANA'S TOKYO British discotheque in 芝浦」。1991年5月15日に開業し、1994年8月31日に閉店しました。わずか約3年3か月半の営業でしたが、お立ち台やジュリ扇、ワンレン・ボディコンといった文化を通じて、当時の若者やメディアに強い印象を残しました。
閉店の背景には、警察からの指導、お立ち台の撤去、営業スタイルの変更、集客の減少、経営上の問題がありました。単にバブル経済の終焉だけを理由にするのではなく、店の人気を支えた仕組みが変化した過程を見ることが、歴史を理解するうえで重要です。
跡地を調べる際は、住所、建物名、営業期間、閉店の経緯をセットで確認するのが確実です。ジュリアナ東京の現在を知ることは、懐かしいディスコの場所を探すだけでなく、芝浦の街の変化と、時代を象徴した文化がどのように記憶されているかを知る手がかりにもなります。 (出典: ジュリアナ 東京 跡地(Yahoo!ニュース))